O・日経連会長が臨時総会の場で述べているように、まずは「目前に控えている春季労使交渉に向け、全国の経営者の方々への指針となるもの」だ。 財界サイドの春闘方針書である。

それはさらに、O会長がつづけていうように、「労働組合や政府、さらに広くは国民各層に対して、日経連の考え方をお示しする政策白書的な意味合いを持つ、重要な報告」でもある。 要するに、日経連の考え方で労働組合や政府、さらには国民をも「洗脳」し、労働者・労働組合を春闘に立ち上がる前に「眠り込ませる」ことを「報告」はねらっている。
「N」(01年1月25日付)が、その「報告」について解説をしている。 つぎの3点が「報告」の基本的なメッセージだという。
第一に、ヨ人間の顔をした市場経済」の理念を徹底・具体化し、この閉塞状況から抜け出よう、ということ」、第2に、「あらゆる領域での選択肢の多様化と機会の均等の確保」、第3に、「労使に対し、賃金等労働条件の問題だけでなく、目線を上げ、高い観点からの論議を望む」この3点だ。 このメッセージをみるかぎり、あまり問題はないようにみえるかもしれない。
とくに第一、第2点など、そのとおりと思えるような言い回しである。 しかし、そこには大変なねらい・策略が隠されている。
以下、それをあぶりだそう。 あらかじめ指摘しておくと、01年版の「報告」は、00年8月に発表された日経連構造改革特別委員会の中間報告「国際競争に勝てる日本企業の経営革新」を基本に作成されている。
一言でいえばそれは、IT(情報技術)をテコに、「企業組織の再編・柔軟化」を断行し、これとセットで抜本的な「雇用・人事処遇制度改革」をおこなう、というものである。 中間報告の表題である「国際競争に勝てる日本企業の革新」が、そのための「大義名分」とされている。
01年版の「報告」の焦点は、中間報告の部分を具体化したものといえるだろう。 したがって当然、雇用破壊・賃金破壊のあれこれの手口が提示されている。

もっとも、「あれこれの手口」には巧妙な粉飾がほどこされているから、それを削ぎ落とさなくてはならない。 「人間の顔をした市場経済」という表現は、O・日経連会長が言い出したものだ。
2000年と01年の「報告」など各種の日経連の公式文書でも、その表現が多用されている。 「21世紀にめざすべき社会理念である」というわけだ。
しかし、その内容・概念は決して明確ではない。 同じO氏が少なくとも2通りの言い方をしている。
その両方をふくむ表現と理解すべきなのかもしれない。 まずは、「生みの親」であるO氏に語らせよう。
その一つとして、00年版「報告」(序文)では、つぎのように述べている。 「21世紀にめざすべき社会理念をわれわれは、「人間の顔をした市場経済」と考える。
この社会は、自由な市場経済での競争を前提に、かつ市場の暴走を抑制し、人間が主役になり、尊重される社会である。 資本主義社会の活力の源は民間の活力であり、それは自由な市場での競争を通じてこそ最大限に発揮される。
しかし、競争が行き過ぎると、人間の幸福や生活、ひいては生存すら脅かされることになりかねない」。 ここでいわれていることは、ちっとも目新しくない。

それは、資本主義の活力は市場経済の活性化による、だから市場での競争を活発にしなくてはならない、とまず強調して、しかし競争の行き過ぎは問題を生むから、行き過ぎにたいしてはなんらかのブレーキをかけなくてはいけないというだけの、前から繰り返されている話だ。 いま、このような当たり前のことをO氏がわざわざいわなくてはならないのは、この国で目に余る「ルールなき競争」が氾濫しているからだろう。
O氏は、目先の利益におぼれず、もっと長い目で搾取強化をしなさいと、せっかちな経営者たちを諭しているこれが一つのねらいだろう。 いま一つのねらいは、前述のようなもっともらしい「O語録」をマスコミで流すことで、世間の財界・大企業にたいする批判をかわしたい、ということだと思う。
01年版「報告」の序文で、人間の顔をした市場経済」とは、社会の主役である人間が自由な市場での競争を通じ、自己の能力を十分に発揮することによって生きがい・働きがいをもてる社会である人間にとって、能力発揮の場があることが、生きがいの根本になる」と述べている。 ここで抽象的に「人間」とされている部分は、資本主義という階級社会では資本家と労働者にわかれる。
労働者に「能力発揮の場」が与えられ、そこに「生きがい・働きがい」が生まれるという言い方には、隠された側面があるといわざるをえない。 というのは、その内容がつぎのようなことだからだ。
つまり日経連は、例の「新時代の「日本的経営Eという重要な報告書のなかで、「人間を大切にし、従業員の働く意欲を尊重し、個々人が能力を最大限に発揮できるような多様な処遇制度を用意するとともに、能力、業績を反映させたチャレンジ型の人事制度を構築していかなければならない」と強調している。 ここでいわれているのは、雇用形態をパート・派遣労働者などさまざまに多様化。
複線化し、競争加速で労働強化をしい、能力や業績で処遇していくことが「人間尊重」なのだ。 日経連は「人間尊重」の意味をもっとはっきり述べている。
「人間尊重」とは、「従業員の職務遂行能力を発見し、十分に開発し、かつ発揮する機会と場所と環境を与え、またそれに応じて処遇することであり、能力主義管理の実践にほかならない」(日経連「能力主義管理その理論と実践」)というのだ。 要するに、「人間尊重」「能力主義の実践」というのが一言でいったその中身である。
結局、O氏や日経連のいう「人間の顔をした市場経済」とは、「人間の顔の仮面をかぶせたルールなき市場経済」ということになるだろう。 リストラのラッシュ、中小企業の大量倒産、自己破産や自殺者の記録的な増大などの一連の事実が、そのことを裏づけているといえる。
「狼の顔をした大企業の横暴」こそ、これらの痛ましい事態をもたらしている主犯だといわざるをえない。 狼に人間の顔をした仮面をかぶせても、しっぽまでは隠せない。
もっともO氏や日経連も、いま「人間の顔をした市場経済」がこの日本に存在するといっているのではなくて、「将来展望」としてそれを提言しているのだから、現状にたいしては筆者同様、「狼の顔をした市場経済」と認識しているのかもしれない。 では、どうするというのか。
「当面・短期の企業における雇用対策としては、賃金より雇用を重視する姿勢を堅持し、社員のエンプロイヤビリティ(雇用され得る能力)の向上に、企業と個々人が努力すべきである」と「報告」はしるしている。 ここでは第一に、「雇用の維持」のために、賃上げをしないだけでなく、年功賃金をやめるなどして、人件費を下げる方向が提起されている。

これはよく経営者が使う論法で、年功賃金で中高年の人件費が膨張している、中高年の賃金をフラットにすれば解雇しないでもすむ、という主張だ。 第2に、社員のエンプロイヤビリティの向上を強調しているが、そのねらいは2つ(日経連「エンプロィヤビリティの確立をめざして」参照)。
一つは、わが社に在職中に腕を磨いて、どこか新しい就職先をみつけられるよう「自助努力」をしなさい、というもの。

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